あれから7年と少し◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
【あれから7年と少し◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】】サボりがちだった不定期連載から、自らに喝を入れるべく月イチ連載として再出発したのが2017年8月のこと。あれから毎月書き続けたコラムを、先月の原稿(「赤・胴白星散らし」)を書くために読み返していた。再出発第一号は「金髪とモデル」と題して、地方競馬のオーナーシップの話をしていたのだが、7年ぶりにその続編を書こう。 20年10月にも「オーナー冥利」という題で自身の所有馬の話をしているが、コラムを通して地方競馬の馬主ライフに少しでも興味を持っていただいて多くの方々に参入してもらいたい。当時紹介したオーラルーチェという馬名は、祖母オーラ・母オーラレガーレから受け継いだものだった。 かつて「モデルの仔は女優」と言って、母モデルスポート・父ノーザンテーストの牝馬がダイナ「アクトレス」と名付けられた(当時社台系の共有馬は「ダイナ」の冠名
【あれから7年と少し◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】】サボりがちだった不定期連載から、自らに喝を入れるべく月イチ連載として再出発したのが2017年8月のこと。あれから毎月書き続けたコラムを、先月の原稿(「赤・胴白星散らし」)を書くために読み返していた。再出発第一号は「金髪とモデル」と題して、地方競馬のオーナーシップの話をしていたのだが、7年ぶりにその続編を書こう。、、20年10月にも「オーナー冥利」という題で自身の所有馬の話をしているが、コラムを通して地方競馬の馬主ライフに少しでも興味を持っていただいて多くの方々に参入してもらいたい。当時紹介したオーラルーチェという馬名は、祖母オーラ・母オーラレガーレから受け継いだものだった。、、かつて「モデルの仔は女優」と言って、母モデルスポート・父ノーザンテーストの牝馬がダイナ「アクトレス」と名付けられた(当時社台系の共有馬は「ダイナ」の冠名