福島競馬場開設70周年記念(1988/06/19) に関する記事
【●今週参戦アウトライン/共同通信杯(1)】●今週の参戦アウトライン共同通信杯(1)京都記念をパスし共同通信杯を選択。きさらぎ賞ラーゴムの推奨は(勝ってくれた事は嬉しいが)元々馬体が緩かっただけに、正直苦しかった。共同通信杯はレベルが上がり甘くない。そうはいかないと思っている。日曜日先週より今週の方が遥かに乗り替わりが多くなっているばかりか、騎手が未定???という予備登録の馬が鈴なりとなっている。今週は共同通信杯がメインディッシュになる。日曜日の午後にスタッフから各馬の馬体構造の写真が手元に届く・・・6頭候補を更に3頭プラスワンに絞った。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー中京05R(芝1600) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー中京07R(芝2400)東京07R(芝2400) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー中京08R(芝2000)東京
【「コスモとマイネル」と『myコレ』と…】かれこれ“3~4か月”前であろうか…私のInstagramに“👍”くれた方の投稿を見ていた。そこにあったのが「マイネルダビテ」の姿であった🐎残念ながら…先日亡くなられたと報道された「マイネルダビテ」である🙏ずいぶん「懐かしいなぁ🍀」と思うと同時に「まだ頑張ってるんだ💪」との思いもこみあげてきた。投稿文を読むと…サラブレッドとしては驚異的に“長生き”しており❗️“長寿”の象徴となっていたようです。“パワースポット”的な意味合いもあり…“彼”の勇姿を目にし、ファンも元気や勇気の源としていたようだ。“彼”は「シンザン」を超え…“36歳”まで生き長寿を全うする。改めてご冥福をお祈りします。さて…その「マイネルダビテ🐎」もちろん覚えているが…かなり記憶は曖昧である。その頃は「当たった🎯外れた💔」の方が強く…馬主が誰か?勝負服がどんな
【堂々たる大往生】サラブレッド重賞勝馬の日本最高齢記録を更新し続けていたマイネルダビテが、1月30日、37歳でこの世をさりました。マイネルダビテは1984年5月3日生まれ。父、デュール、母、ニホンピロチャイナ、母父、チャイナロック。1986年8月、函館競馬場にてデビュー。翌1987年、共同通信杯4歳ステークスで重賞初制覇。その後も重賞戦線を走り1989年11月に引退。1990年より、オーナー所有の岡田スタッドで功労馬として過ごし、ここが終のすみかとなりました。2019年8月15日、シンザンが保持していたJRA重賞勝ち馬の最長寿記録、35歳3カ月11日を更新。そして1月30日、放牧地で転倒し、天国に旅立ちました。 先日、クロフネが23歳で老衰で亡くなりましたよね。20歳過ぎると、いつ亡くなってもおかしくはないのですが、37歳ってのは、人間の歳で言うと150歳だという説もあります。ほんとに長生き
【ダビテ死す】 まずは東京競馬場の道路を挟んだ向かいにある馬頭観音に新年のご挨拶。思うところも多々ありまして…。 昨日(1月30日)のこと。 1987(昭62)年の共同通信杯勝ち馬マイネルダビテが、けいよう先の岡田スタッドで息を引き取ったと報じられました。 36歳8カ月27日! 重賞勝ち馬としてJRA最長寿記録だそうです。 その件とは別に、マイネルダビテは個人的に思い出深い馬の一頭
に思ったのは、「取材記事なのだから自分も担当者と一緒に話を聞かせてもらおう」ということでした。 最初は本当にワケがわからず、取材の手順とか約束事とか、しっかり認識していたわけではありませんから、まさに〝突撃〟みたいなことをして痛い目(?)にも合いました。でも、社内的なキャリアを言えば、この仕事からいろんなこと、と言うか、すべてがスタートしたように思います。 その2頭目になったのがマイネルダビテ
です。1200円。http://miesque.com/shopping.html以前パカラの特集でも取り上げられてましたが、マイネルダビテがついに…https://news.yahoo.co.jp/articles/417218bce0149ac95c5d05b241cbf8e93e4e86f6https://pacalla.com/article/article-2371/共同通信杯はギリでリアルタイム
【(訃報)JRA重賞ウイナー最長寿馬マイネルダビテが死亡。】1987年の「共同通信杯4歳S」(G3、現・共同通信杯)を制した「マイネルダビテ」(牡37歳)が30日(土)、けい養先の北海道日高郡新ひだか町の「岡田スタッド」で死亡した。当日の朝に放牧に出た後、牧場で倒れているのが発見された。同馬は2019年に嘗ての5冠馬「シンザン」が記録した35年3か月11日のJRA重賞勝ち馬最長寿記録を更新、存命重賞ウイナーの最高齢馬とされ、36年8か月の大往生だった。1984年5月3日生まれ。1986年8月2日に「函館」の芝1200mの「新馬戦」でデビューし、4着に敗れる。2戦目で初勝利を飾り、重賞初挑戦の「函館3歳S」(G3、現・函館2歳S)で2着に入った。翌1987年の「共同通信杯4歳S」(G3、現・共同通信杯)で1番人気に応え、重賞初制覇を飾った。しかし、「皐月賞」では17着、「日本ダービー