ビゼンニシキ に関する記事

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こんな画像もありました~④

日高路をチャリで行く

【こんな画像もありました~④】 高齢馬サイズに切りました。 1ピース目咀嚼中。 2ピース目口中に。 普段はこのコーナーから、向かいの放牧地の繁殖さんたちを鑑賞してます。 よく「シービー似はシャコ(-グレイド)」と言われますが、グローバルも澄んだ目の持ち主。 夏にはお誂え向きの「木蔭完備」放牧地です。 背景は繁殖厩舎。 この翌年(2016年)に亡くなるまで、牧場の人々が「賢い」、「仕事がわかってる」と絶賛する試情馬でした。 ※2015年11月の撮影で、昔話は───3着に好走した秋の天皇賞─── でした。 よしだみほ『馬なり1ハロン劇場』では、シービー、ルドルフ、ビゼンニシキらが観戦する中、テイオー、ダイタクヘリオスが張り合ってつぶれ、シービーが息子の健闘に大喜び、と描かれています(^^)。

10/10 13:00

9日 浦和11R 埼玉新聞栄冠賞

「いいとこつく印象的な馬券」

ろ復活してもいいハセノパイロ、矢野厩舎の期待馬キングミニッツ。そこそこの混戦だろう。浦和の1900mは特殊なコースで、対応力が求められる。本田的場森石崎 ダイタクヘリオス。1991年、1992年とマイルチャンピオンシップを連覇した。ビゼンニシキの息子。ダイイチルビーとの死闘は今も記憶に残っている。騎手は岸。岸は1989年にハイセイコー産駒の牝馬サンドピアリス(しんがり人気)でエリザベス女王杯を勝っ

10/06 23:33

2019スプリンターズステークス(GⅠ)予想

人生競馬中心

がフロックではなかった事を証明。そして2001年香港スプリント(12着)を最後に引退、父の血を繋いでいく使命を受けて種牡馬入りした。しかし、種牡馬としてこれといった産駒の活躍はなく、2010年に種牡馬を引退、一時は乗馬クラブに引き取られましたが、乗馬クラブを出てからの消息は不明になっています・・・ダイタクヤマトはビゼンニシキ→ダイタクヘリオスと貴重な内国産馬のサイアーラインを継承していた馬でしたが、後継種

09/29 08:50

この馬が気になる 〜2019〜

まみむめ馬まみれ

な‼️と、祈るような思いであります🙏母系を辿れば、ダイタクヘリオス、ビゼンニシキ、そしてテスコボーイといった、オールドファンにはシビれる面々が揃い踏み時空を超えて日欧の名馬たちがタッグを組んだ、究極の面白配合です(ダビスタの面白配合とはパターンが異なりますが)。最近撮影されたという、牧場での動画では、ピリッとした気性と、パワフルな馬体、俊敏な動きが目を惹きました本格的な秋になったら、ここに挙げた2頭に限

09/01 20:36

正攻法のチャレンジャー・ニシノライデン

馬のたより

う。ゴールドウエイが一発を狙って後方から追い込む競馬だったのに対し、ニシノライデンは正攻法でルドルフを負かそうとした競馬だった。ニシノライデンを警戒して早めに交わした結果、ルドルフはゴールドウエイに詰め寄られたと思う。4歳になって天皇賞(春)でも有馬記念でも同じような競馬をしてルドルフの4着、3着となった。ビゼンニシキやミスターシービーのようにルドルフ陣営からターゲットにされる事は無かったが、何回もルドルフに対

は故郷の西山牧場で種牡馬となり、数少ないながらも産駒を輩出したが、父に似て気性の荒い馬が多くて大成しなかった。種牡馬引退後も西山牧場で功労馬として余生を送っていた。そして、2011年12月31日に老衰による心臓麻痺で30年の生涯を閉じた。私はルドルフのライバルは?と問われたら、ミスターシービーやビゼンニシキではなく、ニシノライデンの名を挙げようと思う。

08/30 16:03

個性派牧場の女王・シスタートウショウ

馬のたより

、フォーティーナイナー、ノーザンテースト、カーネギー・・とどういう基準で種牡馬を選んでいるのか良くわからない。でもそういう独特過ぎる所がトウショウ牧場らしくていいと思う。昔、テスコボーイやパーソロンが全盛の時にトウショウ牧場はダンディルートという馬を輸入して独特の路線を進んだ。ダンディールートは8歳で亡くなってしまったが、短い期間にエイティトウショウやビゼンニシキなどを輩出し、シスタートウショウの母の父となっている

08/28 09:00
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そしてその馬は伝説へ・・受け継がれる血脈 ディープインパクト

元厩務員の追憶

【そしてその馬は伝説へ・・受け継がれる血脈 ディープインパクト】 (往年のディープインパクト号)  (この記事はリライトとなります)     瞳の輝きに衝撃を受けた ディープインパクト   かつて、皇帝シンボリルドルフを馬券で蹴飛ばし続けた男がいた。8戦無敗で菊花賞を獲り3冠馬となり、生涯16戦12勝、2着1回、3着1回、着外1回(海外)。共同通信杯を持ったまま、まったくムチを振るうことなく快勝したビゼンニシキ。「こいつは、強ェーや」おったまげた強さ。4戦4勝のそのビゼンニシキを弥生賞で破り、4戦4勝で皐月賞へ向かったシンボリルドルフ。認めた強さ、ゆえに外し続けた。どこまで強い? ルドルフ。男にとって、それは馬券を通じての、皇帝シンボリルドルフへの挑戦だった。2004年、男の心に甦った挑戦魂。新馬戦を勝ち、若駒Sを勝ち、弥生賞を勝った馬。450㌔あるかないか、小柄な馬はひとたび走ると驚嘆させた。直線

08/26 21:05

『皇帝』という称号に異論はない馬 シンボリルドルフ

元厩務員の追憶

となる岡部幸雄は驚いた。「他の馬よりも半年も、1年も年上の印象」入厩したばかりなのに、完成された馬の印象があった。3歳を3戦全勝。好位から直線、鋭く突き抜けた。4歳、弥生賞で4連勝中のビゼンニシキと対戦。当時、岡部はビゼンニシキをも乗っていた。前走の共同通信杯では、直線を持ったままでムチを入れることなく楽勝したビゼンニシキ。1番人気もビゼンニシキだったが、岡部は迷うことなくシンボリルドルフを選んだ。1馬身4分の3、勝利したシンボリルドルフは皐月賞でもビゼンニシキと一騎打ちとなり、直線、激しく馬体がぶつかる、まさに死闘。1馬身4分の1、ルドルフが勝利も、岡部は2日間の騎乗停止処分を受けた。皐月賞で1冠を制したシンボリルドルフ。唯一ライバルと思われたビゼンニシキが短距離血統ゆえに、ダービー以降はライバルの存在がなくなった。孤高の道を走るシンボリルドルフ。ひたすら無敗を守る走り。ダービーも菊花賞も無

08/15 18:00